⚫️トミヤ古市会長の面白話 〜京都大学の医学部のもとは岡山?〜
年末、光栄にもTOMIYA古市会長から興味深いお話を聴ける機会が多かった。中でも「松原くん,岡山は医療なんよ。京大の医学部いうのはもとは岡山・・・」という件に興味があったので調べてみた。
大村益次郎、福沢諭吉を育てた足守藩出身の緒方洪庵、オランダの医師シーボルトの娘イネが産科医を現在の表町で学んだこと等、岡山が医療・医学に対しての先駆的な役割を成していたんだろうなと漠然と思っていたが、古市会長のお話を聞いているとだんだん岡山県民であることに胸が張れていくように思えた。
明治19年に高等教育機関として高等中学校設置され、各中学校に医学部設置された。ところが本校に医学部を置いていたのは第二(現在の東北大)と第四(現在の金沢大)のみで後は医学部の所在地が違っていた。第三(現在の京都大)の医学部が我が岡山にあり、後に独立して岡山大学医学部の前身である岡山医科大学へ、そして昭和24年に岡山大学医学部となって多くの優秀な卒業生を生み日本医療の発展に貢献したのだとか。
古市会長のお話には岡山への愛がある。私ももっと岡山への愛を深めるために岡山について知りたいと思う。そのためには諸先輩方のお話をもっと聞き、できる限り書き残していかなければと思う今日この頃である。