8月4日(日)、吉備中央町「裕園」様にて 〜蔵の財より身の財、身の財より心の財(崇峻天皇おん書より)〜
DVD機器のお世話をさせていただいた。現場に早く着きすぎたのでとうもろこし直売所にて10本購入。
流石に熱くて若干めまい😵💫。もしたが、少しはお役に立ててよかった。事をなす人は動きが速い‼️ オーナーの小林裕さんを見ていたらまだまだ松原徹も老け込んでる場合じゃないという心の財をいただいた。
DVD機器のお世話をさせていただいた。現場に早く着きすぎたのでとうもろこし直売所にて10本購入。
流石に熱くて若干めまい😵💫。もしたが、少しはお役に立ててよかった。事をなす人は動きが速い‼️ オーナーの小林裕さんを見ていたらまだまだ松原徹も老け込んでる場合じゃないという心の財をいただいた。
大阪淀屋橋のチルコロさんで行われた大森青児映画監督主催の「青の会」に参加した。毎回のことだが夢のような出会いをいただいた。
・時代劇ファンだった子どもの頃日曜日に観ていた大江戸捜査網の土田早苗さん。
・時代劇のエンドールでよくみていた八木かつらの八木さん(今日お会いしたのはお孫さん。私と同い年)。
・大河ドラマ「太平記」など数々の名作の演出をされた大森青児監督のNHK時代のご先輩 ・朝ドラブギウギのチーフ演出の福井さん、カムカムのチーフ演出の安達さん。
・関西を中心に活躍されている妹尾和夫さん。 ・日本屈指の手書き職人竹内志朗さんのお元気なお姿を拝見し、まだまだ現役として活動されていること。
・私も所属していた作詞の勉強会「詞屋」のメンバー近藤さんが歌手・秋元順子さんの新曲オーディションで入賞されたことなど多くのご活躍を聴いたこと。 昭和平成令和の芸能界と遭遇させていただき、昭和のテレビっ子のビールが進んだ^_^
岡山への帰り道改めて大森青児さんの処に凄すぎる方々が集まられていること、そんなお仲間に入れていただいていることを光栄に思った。 #NHK朝ドラ #大森青児 #カムカムエブリバディ
新潟から姪っ子家族が遊びに来た。私の母にとって、5才と3才のひい孫との年の差は86才以上ある。かわいい声で「おおきいばあちゃん!」と話しかけられると笑顔と元気をもらっていた。その姪っ子から
自分の旦那さんが岡山に帰省することを聞いた職場の人が
「岡山では何を食べるのがおいしい?」と聞かれ
「おばあちゃんのお寿司と煮魚が一番と答えらしいよ」という話をした。
それを聞いてまたまた幸せそうな笑顔になっていた。
亡くなった父も仏壇に手を合わせてくれる姪っ子家族に「よう来たな!」と言っているに違いない。
暑い時にきてくれてありがとう!
新見市立正田公民館の大正琴教室では、2時間の練習のうち30分は休憩があり雑談をする。これも教室を行う大きな意味。決まった日時に、決まった場所に行き、決まったことをする。そしてしゃべる。
そんな正田大正琴教室で、前回は「けんびき焼き」をいただいたと投稿したが、今回も見たこともないものがテーブルにあった。
「これなんなんすか?」と聞くと
「名前はわからんけどよーけー生るんです」
と言われる。
ぱっと見「銀杏的な味?」と思いながら口にすると甘酸っぱい。見てくれは和風だが味は洋風だ。 調べてみるとビタミンA・Cが豊富で老化の予防になり、他にも多くの効果をもたらしてくれるとの事。 世の中知らんことだらけである。
38年前、プレイヤーになることを諦めて岡山に帰り「人生やり直しじゃ」と決意。
友達に「何やったら儲かるん?」と聞くと「佐川急便かヤマト運輸に入りゃ3年で家が建つでぇ」と言うので鵜呑みにしてヤマトに入社。 そして担当したのが陵南学区だった。
退職して25年になるが懐かしい思いで楽しく講演させていただいた。
長泉寺での御詠歌の炎が消えそうだとの会話の中で聴いた凄いお話。 御詠歌とは、讃歌「梵讃(ぼんさん)」が起源とされ、中国に伝わって「漢讃(かんさん)」となり、さらにこの文化が奈良時代に日本に伝わり「和讃(わさん)」となった。そして鎌倉以降、巡礼歌として民衆に広まったものが今の御詠歌であると考えられており、伝承方法は代々口伝え、聞き伝えだった。
江戸時代、岡山県で起こった新興宗教・黒住、金光両教の式楽に「吉備楽」がある。明治5年」に演奏形態・楽譜が確立され、縁あって御詠歌とコラボ。 結果、現在の御詠歌の楽譜は吉備楽のそれが基になり、金剛流、大和講、一定節などの流派へと広まって行ったのだとのこと。
つまり、近代御詠歌発祥の地は岡山ということになるのだ️‼️これも岡山県民は知っておくべきことだと私は思う‼️
青少年の健全育成について話を聞かせてほしいと、私の恩師である前広島国際大学の新田幸子先生より紹介いただき倉敷市議会議員・真田いさく先生がお越しくださいました。これからが楽しみです。
レッスンに来ている子ども達に聞くと、「宿題はあと少し!」という。
私は最後になって慌てることが多かった。すごい!と感心してします。
小さいころ、父の実家がある総社の田舎に弟と遊びに行っていた。今考えれば家が商売をしていた為、預けられていたのだ。両親と離れていても悲しくはなく、弟と川で遊び、畑を走り回っていたことを思い出す。私の夏の思い出です。
口を開けると「あ~あつい!」の連呼。でも、朝少しずつあのうだるような暑さは軽減
してきているように感じてます。
皆さん、水分補給を忘れず、眠い時は休んでいきましょう。